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1947年、北海道小樽市生まれ。12歳で埼玉県朝霞市に転居。高校生のとき、近くにあったアントニン・レイモンド設計の木造校舎に感銘を受け、建築家を目指し、卒業後独学で設計を学ぶ。初めて設計したのは21歳のときに建てた自邸。1970年、齊藤裕建築研究所を設立。
1978年から80年にかけて東京都心に設計した陶芸家のアトリエ兼住居るるるる阿房で、日本建築家協会新人賞を受賞(1986年)。「都市のなか、禅寺の庭に吹き抜けるような風が感じられる家」をテーマとした。審査では、「日本的なるもの」が高い抽象性をもって表現され、現代の建築として鮮やかに消化・再構築されていると評価を受けた。
古美術商の住宅 好日居(1990年)では吉田五十八賞を受賞(1992年)。“絵巻物の空間”と評されたこの作品は、最上階の鉄のドームに銀箔を張った天井や、そこから駕籠のように吊り下がる茶室など、日本建築の伝統技術や素材と、曲面鉄板の工業技術を融合した。
東京のみならず、北は北海道から南は屋久島まで作品は点在する。自然環境に恵まれた敷地では、ランドスケープを活かし、土地独特の風土への解釈を組みいれた設計をしてきた。その代表例としては、屋久島の家(1986年)や見晴邸(2009年・神奈川県)がある。2000年に日本建築学会賞を受賞した札幌市の曼月居(1996年)は、地元で採れた再生材のタモと珪藻土でつくった住宅で、満月の軌道にあたる方角に窓を取り、毎月その訪れを眺められるようにしたのが名前の由来である。太陽や月といった天体の動きを建築のプログラムに組みこむことは長年テーマとしてきたことの一つで、近年の作例では水庭の家(2017年)がある。
「あなたは住宅に革命が起こせますか?」と訪ねてきたブックデザイナーのために設計した住宅建築が、東京都心に立つ蕣居(1991-97年)である。密集した敷地条件であることから、空間を「閉じつつ開く」コンセプトとし、従来型の四角い窓はつくらずに、花びらのような形状のねじれた曲面鉄板を円形に配置してドーム空間を形成。その鉄板間のスリットと上部のトップライトから空間に採光する。外の鉄に対して、内部の壁の仕上げは桐材を張りめぐらせたもので、工業技術と手仕事、現代の素材と伝統的な素材、さらに画期的な構造の成果を掛けあわせた冒険的な住空間に挑んでいる。
設計とともに情熱を注いできたもう一つの活動が建築写真集の出版である。メキシコの建築家ルイス・バラガンの作品との出会いを契機に、写真を媒介として建築空間を探求する試みをはじめ、これまでにみずから撮影した写真によって建築写真集を数多く出版している。写真集『ルイス・バラガンの建築』(1992年)では東京アート・ディレクターズ・クラブより原弘賞を受賞。近年は、長きにわたり撮影に取り組んできた日本の古建築の写真をまとめ、『日本建築の形』(Ⅰ巻2016年・Ⅱ巻2017年)を上梓している。